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執筆者の写真mirainohyakusho

第四回後編 人々を繋げる技術:我々を結びつけるものとはなにか

更新日:2021年8月21日







“痒いところに手を届かせるためには、まず痒いところを調べなくてはいけない”

システムの実現化を図るための作業は、想像以上に地味で泥臭いものだったと、村山さんは言う。紙上に書かれているものは、情報が存在する場所が限られているため、共有が難しくなる。その問題を解決するのが、データベース化なのだ。地域の人々が自然な形で、今まで紙に保存されていた情報を、ポンポンと投げ込み、貯められるプールのような場所作りが必要だった。

 村山さんが農業を本格的にスタートさせた2007年以来、世界のデータベース化はどんどんと進んでいる。しかし、都会であればすんなりと受け入れられるその発展も、田舎であればあるほど受け入れられにくい。長く続いた習慣から、新しいシステムに移行する気にさせるためには、シンプルでメリットがわかりやすい設計をしなくてはいけなかった。「痒いところに手を届かせるために、どこが痒いのかを調べる」ことは一番重要であって、一番時間がかかる部分でもあった。



”俯瞰しているものとディティールの部分を両立させる”

 どの作業をデジタル化するのか、適切な情報の形を見定めるためにも、自らが生産者となって、地域の人たちとのコミュニケーションを取る。その中に散りばめられているヒントこそが、ディティールの部分に詰まっている情報を見つけ出す作業の鍵となった。データベースの専門、生産者の専門といった風に、どちらかに偏った能力は必ずしも助けになるとは限らない。村山さんは、両方の知識をバランス良くもつブリッジ的役割を担ったことで、デジタル化の恩恵を受けそこねていたローカルの人々にも受け入れられるデザインを作り上げた。


”大事なのは、二重人格になること”

生産を始めて楽しめるようになると、それに溺れてしまう瞬間が訪れる。農業だけに限らず、あらゆる趣味は人を主観の世界に閉じ込める性質があるだろう。けれど、そこで一歩引き、客観する自分を引き出す事が重要だと、村山さんは語る。「肉体を持つものと観念の役割をいかに両立させるか、つまり二重人格になることが大事だと思うんです。」


“人は思うように動かないし、動かすことも得意ではない。けど、いつの間にか巻き込んでいることがよくあった”

現在働いているスタッフの一人も、地元の高校出身で、専門的な知識は持ちあわせていなかった。始めは彼女がやりたい分野だけ頼んでいたが、そのうちに自ら会計の仕事を引き受けるようになり、さらには簿記の資格まで取得した。人間は弱いから、細かく、途方も無い作業をしていると、「こんなことに意味があるのか?」と疑念を持ち始めてしまうことがよくある。しかし、いかにそこを楽しめるのかを考えるのが醍醐味であって、編み物のような細かい作業が繋がったときにようやく、今までの意味が浮き上がってくる。人との関係も同じで、日々の些細ややり取りの積み重ねが、良い関係性を生み出し、それが自然と組織全体の流れを動かすのだ。



”流通構造も生き物と一緒。細胞一つ一つが機能して成り立っている”

 村山さん自身の哲学の根本には、“自分の日々の丁寧な暮らしと、自然との繋がりを信じられるか否か”という考えがある。彼は、農家と流通構造の仕組みと、人間の身体の仕組みを同じシステムとしてとらえている。例えば、人間は無数の細胞の集まりであって、自分という肉体も細胞一つ一つが機能して繋がりがあるからこそ、初めて一人の人間として機能できる。流通構造も同じで、生産者から八百屋まで細かい部分がスムーズに機能することで、全体が成り立つのだ。英語のOrganicという単語は、本来Organ、日本語訳で”器官”の形容詞である。つまり、オーガニックとは村山さんが提唱する、個が機能しつつ繋がっている状態であり、村山さんが有機農業を始めたきっかけもここにある。ただ、生産だけにファーカスするのではなく、周りの流通構造や環境など全体の機能の繋がりがあってこそ、有機農業とよべるのだ。


“情報というのは、僕という存在と同じくらいリアルなもの”

 持続可能性といった言葉が流行り始めて、過去の生活様式などが注目されたりもしている。しかし、村山さんは昔に戻ればいいわけではなく、上手くテクノロジーを使うべきだと信じている。テクノロジーというと、どこか冷たいイメージがあって、近寄りがたい。情報は目に見えないから、信じづらい。といった負のイメージがあるけれど、人間の意識も実は情報の集まりであって、目に見えるものと見えないものをわざわざ分けて考える必要はない、と言う。植物の気持ちを理解するために、サイエンスは必要不可欠であるし、農業において技術は大きな側面なのだ。


“農業という枠を超えて、命がもっと楽になるような方法を探している”

 農業を始めて、野菜を育てるのも、人間を育てるのも、組織を育てるのも根本は一緒だと考えるようになった。野菜は口がきけないので、ひたすらに観察して、何が必要なのかを見極める。人間や組織に対しても、同じように一つの命として接することが、成長につながるということが一番の学びだったそう。このセンスを持ちながら、村山さんは情報やシステムも、命として扱っているのだ。 


“矛盾した2つの両立がコミュニティには必要”

 コミュニティとの関わり方において、村山さんは2つの対極にあるポイント教えてくれた。1つは、「郷に入れば郷に従え」中途半端に属するのではなく、完全にそのコミュニティに入り込みディティールを知ることで始めて、繋がりを持てるようになる。しかし、一方で「今までやってきたことも続けなさい」というのが、2つ目の鍵だ。長く続けてきたことが、自分のルーツとなっていることには変わりはなく、自己を消すことと混同してはいけない。農業の世界では、現実逃避のように入り込んでくる人が多いが、それが一番危険だと村山さんは断言した。逃げ込むのではなく、自己とコミュニティとの両立方法を見つけ出していくことが、どの生活の中にも通ずる基本ルールといえるのかもしれない。









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