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執筆者の写真mirainohyakusho

第六回後編 場所の哲学を旅する




image courtesy of Namae Shinobu


 前回のエピソードでは、レフェルヴェソンス料理長の生江史伸氏に、彼の味覚の哲学について話を聞いた。シェフとして、懐かしさと新鮮さ両方を提供することの重要さを学んだが、今回のエピソードでは、生江氏の少年時代の話から、どのようにして農家や農産物そのものに強く惹かれるようになったのか紐解く。



“田舎暮らしの不便さに守られる瞬間がある”

 1980年代、ベビーブーム真っ只中に誕生した生江氏は、いわゆるメガ団地に生まれ育つ。山を切り開いて建てられた新興住宅地で、周りに田んぼや森はなかった。また、両親も都会生まれだったため、里帰りするような田舎もなかった。都会で生まれ育った生江少年は、生き物や自然に憧れ、田舎での生活を夢見るようになる。


さて、わたしたちは田舎暮らし・都会暮らしといったように、地方と都市とを二極化して考えがちだが、生江氏は地方と都市はグラデーションであると考えている。例えば住まいは東京だけれど、休日に農業をしに郊外へ行く人や、地方暮らしだけれど仕事の度に東京へ来るという人もいる。実際に、生江氏も東京を離れ、職場のある表参道から電車で一時間かかる地へ引っ越した。都心で完結する生活は、時として生きづらさを感じさせる。地方と都心を行き来する生活が、むしろ、日々の生活に「ゆとり」を与えてくれるのだ。”地方の不便さに守られる瞬間がある”と語った。通勤の間に本を読んだり、終電までに必ず帰宅しなくてはならないので、オンオフがはっきりし、生活リズムが整った。インフラが整い、リモートワークが増えた現代では、二拠点での生活こそ、人間らしく暮らすための、新たなライフスタイルとなるかもしれない。



食を通して人間の根源を探る

生江氏は、自身がシェフとしてのキャリアをスタートした頃から、生産者訪問を欠かさない。若きシェフにとって、農家まで足を運ぶことが、相性のいい相手を探すための近道だった。生産者訪問の際、最初の訪問は必ず一人で行くということをルールにしている。会話の密度を最大限に濃くするため、また個として自分のことを知ってもらうためだ。お互いに本音で語り、信頼関係を築くことではじめて、仕入れのステップに移動することができる。


食べるという行為は、日常の生活の一部なのにもかかわらず、現在の外食産業は非日常の提供にばかり焦点を当てている、と生江氏は指摘した。もっと”食べる”という行為そのものに、ポイントを絞るべきだという。たとえば、動物は生きるためのエネルギーを得るために食べる。一方で、人間の食事は生きるためだけとは限らない。社交の場として食卓を囲み、食を五感を通して味わい、楽しむ。さらに言えば、血縁の枠を超えて、食を分かち合うのは人間だけなのである。こういった動物学的事実を踏まえて、食べるという行為から、人間の根源を見出すことも、今後の飲食業界では重要な役割となってくるだろう。


私達は常に、セクション化された世界に生きてきた。農業、工業、商業と、それぞれ専門的な知識を持つ人が、それぞれのセクションで働く。そうして生まれるセクション同士のギャップが広がり続けていることを、生江氏は問題視している。そのギャップを埋めるためには、多角的な思考を持って、行動していくべきだと生江氏は言う。彼が付き合いのある鰹節職人の、”作ると伝えるはワンセット”という言葉がある。なにかを作り出したら、それを伝えるまで、責任を持つ。外食産業における料理も、ただ餌を与えるためではなく、その背景や込められた意味を伝えるためにあるべきなのだ。そうした”伝える一手間”が、途切れたチェーンをつなぎ直していく鍵となると、生江氏は教えてくれた。




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